大正時代の服装の特徴とは!和装×洋服が主流だった?

大正ロマンハイカラんて言葉があるように、文明開化後の明治から大正時代にかけては沢山の洋風文化が急速に浸透して今までの日本文化に西洋文化が積極的に取り入れられました。

人々の服装も袴などの着物を来ている人もいれば、学ランを来ている学生もいたりと、新しい文化が入り乱れて独特の文化が発展。

実は学生さんのセーラー服もこの大正時代から取り入れられたものだったんです。

大正時代

大正時代というのは日本史の中で一番短く、期間は1912年から1926 年(大正元年から大正15年まで)の14年間しかありませんでした。しかし関東大震災や戦争など、様々な出来事もあった大正時代。

そんな激動の時代を生き抜いて来た人々はどんな服装をしていたのでしょうかね??今回は、大正時代の人々はどんな服装だったのか、詳しくご紹介しちゃいます!

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大正時代の服装の特徴と時代背景

大正時代といえば、「ハイカラさんが通る」や「伊豆の踊子」、「風立ちぬ」、最近では「ごちそうさん」や「花子とアン」というドラマでもあったように、着物や袴、学ランというイメージが強い時代ですよね。

14年間しかなかった大正時代ですが、その時代の存在感は大きく、服装の特徴も独特です。

大正時代の主な出来事といえば

  • 第一次世界大戦
  • 米騒動
  • 関東大震災
  • 大正デモクラシー
  • 部落解放運動
  • 女性解放運動

など、様々な社会の情勢があり激動の時代でした。第一次世界大戦後に好景気で経済や文化が発展、西洋文化の目覚ましく浸透し市民の生活様式も大きく変動した時代。

百貨店やカフェ・レストラン、自動車なども普及しだして西洋かぶれ(俗に言うハイカラ)スタイルが定着し、一般の人々にとって目新しい文化が目白押しでした。

なので、和服を着る人もいれば洋服を着る人もいたりとファッションも様々。どんな服が主流だったんでしょうかね?詳しく見て行きましょう!

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女性の服装

学生さんは袴姿からセーラー服へ

ハイカラさん
出典:国立国会図書館 新版引札見本帖. 第1〔明治36(1903)〕http://rnavi.ndl.go.jp/kaleido/entry/jousetsu148.php#d

大正時代の服装のイメージといえば袴をはいて自転車に乗ったハイカラな学生さん!

といったハイカラさんのようなザ・大正ロマンスタイルですが、男性の服装だった袴を女学生にも取り入れたのは、明治中頃でした。

それからしばらくして、革靴やブーツが発売され、大ヒット。編み上げブーツに袴といったような西洋ものを取り入れた和装が大ブームに。

ハイカラさんのイメージにもなった自転車にのるおてんば娘的な女学生さんは、明治33年、上野の音楽学校に通うため、自宅から学校までの8キロを自転車通学をしていたというオペラ歌手の三浦環さんと言われています。

紫の矢絣(やがすり)に海老茶袴、髪を白リボンで結うといったあのスタイルです。

当時は自転車やフリルの付いたパラソル、お洒落な手袋も流行っていたそうなので、流行に敏感な当時の女学生の間では、あの斬新な格好が強い憧れの存在だったのかもしれませんね。

なので、学生さんが袴を着ていたのは明治の中頃から大正の始めくらいまでだったようです。

 

大正中頃になると、洋服を採用する学校が多くなり、大正9年にはセーラー服が登場します。当時は動きやすいので運動着として使用されていたそうですが、次の年には正式に制服として採用されます。

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 福岡女学院の学生服

セーラー服は、元は海軍の軍服だったそうですが、なぜ女生徒の制服に採用されたかというと、当時多くの学校の男子学生は立襟の学ランスタイルで、それが陸軍式の5つボタンだったので、女子学生は海軍式のセーラー服というスタイルになったとも言われているそうです。

学生服にそんな理由があったとは・・・Σ(゚д゚;)!管理人はブレザーの学校だったので、セーラー服に学ランは馴染みがなかったですが、、^^;。

 

 

オシャレ女子のスタイルは?

震災後は映画の影響から、『モダン』という言葉が流行り、大人の女性の間ではモダンガール、略して『モガ』というものが流行っていました。(ちなみにモダン男子はモダンボーイで『モボ』。)

モガの特徴は今までの長髪によるいわゆる日本風の束ね髪から、ショートヘアになり、帽子ワンピース、そして濃い目のお化粧などといった洋風なスタイルが定着しました。

宝塚歌劇団が第一回の公演をしたのも大正時代。夢のような洋風文化が浸透して、動きやすくてお洒落な洋服が沢山出てきて、文字通り当時の女性たちの間では大正ロマンな文化だったのでしょうね。

百貨店やカフェも人々の生活に馴染んできて、銀座をブラブラ歩く『銀ぶら』なんて言葉も大正時代の俗語です。百貨店で最新ファッションをたしなみ、しゃれおつなカフェで一休みが当時の人々の休日の過ごし方だったのかもしれません。

ウェイトレスも、着物に洋風なフリル付きエプロンと、和装×洋服だったのが特徴です。

 

大正時代の服装を現代でも再現されているという方もいらっしゃいます。日本モダンガール協會の淺井カヨさん。彼女のスタイルを見ていただければ、大正時代の服装はどんなものだったかよく分かると思います。

 

 

男性の服装

モダンボーイ
出典:neojaponisme http://neojaponisme.com/2014/10/09/history-of-the-regent/

一方、モダン・ボーイの大正男子はどんな服装だったかといいますと、若者の間では、山高帽子ロイドメガネ、ダブダブなセーラーパンツステッキや傘と言ったようなスタイルが超イケてる男子代表の服装だったようです。

映画も大正時代はチャップリンが登場するので、その影響もあったのでしょうかね。

 

一方ハイカラに対して男性は『バンカラ』スタイルが流行っており、こちらはちょっとグレてる今でいう『ヤンキー』的な存在でした。

立襟の洋シャツに袴と着物、学生帽に下駄という格好が粋だったようです。冬にはこのスタイルにマントを羽織って勇ましく歩くのがザ・バンカラスタイルでした。

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出典:大分経済学部 http://www.ec.oita-u.ac.jp/index.php/about/historyimgs/02/

学生は校章の入った白線帽子に詰襟の学ラン、下駄に将校マントを羽織って威厳のあるような立ち方したりと、やたらカッコつけてた感があります。

大正時代まつりというものが埼玉の与野で毎年開催されており、仮装パレードで大正時代の服装を着て街中を練り歩くそうです。バンカラやモガ・モボスタイルの人がいるか観に行ってみるのも楽しそうですね!

大正時代祭りの仮装パレードの様子

大正時代祭りHP

 

 

ちょっと豆知識

大正時代と桜

桜

法では定められていませんが、日本を象徴する花としてがあり、100円玉にも刻まれていますね。

桜はパッと咲いてすぐに散るという性質があり、その儚さを人生に例えて、この花が日本精神の象徴のようなものと言われだしたのも、大正時代後期からでした。

明治維新によって江戸が東京になり、都として定められてから東京には公園が沢山出来ました。桜のお花見の名所として有名な上野公園も、明治6年に開園。

庶民の息抜きの花見の場として、明治、大正、昭和時代は、数多くの桜が植樹され、お花見として名所の公園などになっている桜は、だいたい大正・昭和時代に植えられたものだと言われています。

サクラクレパスという商品を開発した文具メーカーの「サクラ」の創業も大正時代。

アニメやゲームなどでも、「サクラ大戦」や初音ミクの「千本桜」にもあるように、大正時代をテーマにしたストーリーでは、桜をモチーフにしているものが多いですよね。

初音ミクの『千本桜』。トヨタのアクアのCMや、色んな人がカバーしたりと、何かと話題の曲ですね。

この原曲の登場人物の服装は、イラストレーターの方の新しい創作ですが、和服と学生服、下駄とブーツが組み合わさったような格好で、大正らしさがよく出ています。

 

 

まとめ

いかがでしたでしょうか、大正時代。

何だか目覚ましく人々の暮らしが変化する激動の日常の中、色々制約はあれど、そんな中でも、自由や個性を追い求めて人々は時代を謳歌していたのではないでしょうか。

ノスタルジックで夢のように儚かった大正時代、今もなお多くの現代の人からもロマンやレトロ、ノスタルジックの代名詞として、その片鱗を探し求められて愛され続けています。

その時代は桜の木のように一気に開花し、儚く散っていく様に似ているところもあり、大正時代には桜がよく合うような気もしますね。