豊島園の歴史-「としまえん」には昔お城があった!?

その土地その土地で昔から色々な歴史が繰り広げられ、今では賑やかな遊園地だった所も、昔は全く違った様相でした。普段見慣れた風景の中にも、昔はここは何だったのだろう?と調べてみると、意外な発見があるかもしれません。

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そこで先日も記事に書かせて頂きましたが、としまえん!(先日の記事はこちら)実は昔はお城があったんです。今回はそんなとしまえんを巡る歴史探訪の旅にいざ、出発!

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詳しく豊島園の歴史をご紹介させていだきますと、さかのぼること14世紀末の室町時代、国人系領主として今の東京都周辺、石神井川流域の開発領主として勢力を持っていた武家・豊島氏は、石神井城の支城として『練馬城』を作りました。その練馬城の跡地が現在のとしまえん遊園地なんです。

ちなみに『石神井城』は今の石神井公園内に空堀及び土塁の遺構が残っているそうです。歴史探訪好きな方は是非訪れて見てください^^。室町時代では、ここらへんを本拠地として、石神井郷の一円を支配してたんですね。

さて、練馬城ですが、築城主は豊島 景村(としま かげむら、生没年不詳)さんかも?とのことですが、正式には分かってないそうです。1477年に扇谷上杉氏の家宰である太田 道灌(おおた どうかん)さんらとの戦いに敗れ、廃城されてしまったそうです。

ここでもうお気づきかもしれませんが、「としまえん」という名称、練馬区にあるのになんで「としまえん」なんだよ!と、ここら辺にお住まいの方は一回はツッコミを入れたご経験があるかと思われますが、練馬城の築城主である『豊島氏』にちなんで「としまえん」になったんです!決して名前を付けた人が「ここって豊島区だよね?」とアホみたいな勘違いしてたわけではございません。

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お城の遺構は近年まで若干残されていたそうですが、平成元年のプール施設「ハイドロポリス」他の建設により完全に消滅してしまいました。「ハイドロポリス」建設に伴う発掘調査では、最大で幅約10メートル・深さ約4メートルの空堀、土塁跡などが検出されたそうです。

廃城になった後は、またお城が築かれることもなく、雑木林や畑作地になったそうです。その後は土地の所有者が入れ替わり、明治後期には練馬城址が豊島公園となり、大正15年には、当時財界の有名人だった藤田好三郎氏が所有していた土地を、運動と園芸を東京の人々に広く普及させたいと公開したのが始まりだそうです!

最初はテニスコートや音楽堂、池といった遊戯場のような感じだったそうですが、徐々にプールや、動物園といった遊園地の形態になっていきました。

このような歴史を知ると、また違った趣を感じることができますね!私は小さいころからとしまえんに遊びに行っていたのですが、「ミステリーゾーン」という人気お化け屋敷のアトラクションがあります。外観は英語で「MYSTERY ZONE」と書いてあり、恐竜の骨のオブジェとかあって凄い洋風なのですが、中に入ると一変、ものすごい純和風なんです。

室町時代の時代背景を思うと、何故和風な作りになってたのか、妙に納得してしまう自分が居ました(笑)。(びっくりする要素が多いので、苦手な人はあまりおススメできないアトラクションですが…^^;)

普段から利用している場所も、少し調べてみるととても面白い発見があるので、よかったら皆さんも、地元の歴史探訪の旅へ出かけてみてはいかがでしょうか。

参照元:wikipedia

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